放送最新版
  もう12月となりました。一般には師走が有名ですが、禅宗ではお釈迦様のお悟りに因んで一週間の坐禅をし追体験をします。12月の別名である臘月の坐禅という意味で、臘八摂心といいます。
 しかし、一年の最後の月は何かとイベントの多い月で、ベートーベンの第九交響曲が歌われたり、クリスマスがあったりと本当に賑やかです。さらに、今月の14日は、耐えに耐えぬいて赤穂の浪士たちが満を期して討ち入りした日であり、テレビなどでは必ずと言ってよいほどドラマや映画が上映されます。この知名度が、お釈迦様の成道というお悟りよりも遙かに高いところに私たち仏教僧侶の不甲斐なさが如実に顕れています。
 そしてそれは、私は仏教徒と胸を張る日本人の少ない事と相まって、意識の上でも寺院とか僧侶に対する関心の低さに連なってきます。しかし本当に日本人は、仏教徒ではないのでしょうか。老いも若きも京都・奈良では多くの人々が仏を巡り手を合わせています。
 美術館で行われる仏像展や寺寶展などには多くの人が集まり、お金を出して入館しています。
 書店に並ぶ雑誌にも、多くの仏教特集が組まれ、表紙には柔和な仏の写真が多く使われています。小説家も写真家も多くが寺を訪れて作品をものにしています。
 ところが一般社会では、夏のお盆くらいしかお坊さんは僧服で町を歩くことはなく、世間では普段目にする事は多くありません。
 人々も、お寺には葬送儀礼でしか訪れる事が無く、疎遠です。お釈迦様は、諸国を巡り悩める者に言葉を掛け、生きる気力を失った者に勇気を与えてきました。
 その仏の教えは、如何に生きるかを説いているのに、死んでからしか接触する事がない僧侶たちの存在は、現代における一番大きな矛盾です。皆さん、坊さんには何も期待しないなんて、そんな寂しい事は言わないで下さい。
 大道無門と申して、お寺の門はいつも開いているのですから。
放送日
平成21年12月4日 午前9時  再放送日 12月5日
ちょっとだけリスニング
ゲスト・スピーカー
女川町  照源寺住職 三宅 哲也さん
巻頭言